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がんばらないで生きよう

どーも、がんばらない介護士ことお抹茶介護士です。

今回はこのブログのタイトルでもある「がんばらない介護士」というタイトルを付けた経緯につけた理由についてお話してみようと思います。

昨今、大谷翔平選手の活躍や藤井聡太棋士の活躍により一部のスーパーマンがフューチャーされて、自分がどれだけちっぽけな存在かを感じている人も多いかもしれしれませんが、スーパーマンになれる人なんてごく一部のひとです。

私たち多くの日本人はいたって普通の人間であり、多少能力の優劣はあれど特別な存在ではありません。

がんばらずに普通でいるという考えこそが、幸せへの第一歩だということに気が付いて自分自身生きやすくなりました。みなさんもぜひ「がんばる」ということを考え直してみてください。

目次

座右の銘は「がんばらないで普通に生きる」

まずは僕の座右の銘をお教えしましょう

がんばらないで普通に生きる

これが僕の座右の銘です。どうですか?つまらないでしょう。僕もそう思いますからあなたつまらないと感じた感覚は間違いないではないと思います。

ただ、僕は人生とはつまらないものだとも思います。中にはこういった意見に対して「人生は楽しいもんだ。つまらないと言ってるから人生がつまらなくなるんだ」と感じる人もいるでしょう。それはそれで感性の違いですから否定はしません。

僕自身も人生は「楽しいもんだ」と思っていました。正確に言うと「そう思おうとしていた」というのが正しいです。

「いつかお金持ちになって、素敵な家に住んで、人に尊敬されるような立派な人間になるんだ」と恥ずかしながら10年前の自分はこう考えてがむしゃらに頑張っていた。いや頑張っていた気になっていました。

でも、どれだけ自分が努力した気になっても収入は増えないし、彼女はできない。仕事ができない僕は人から毎日のように怒られる日々。

たくさん本を読んで、プログラミングやSNSの発信もして、セミナーに参加して自分を磨こうとしました。そして、ある日気が付きましたどれだけ努力しても報われない。

自分は無能な人間なんだ」と

その事実を受け入れるのはなかなか難し方かったですが、受け入れてしまえば世界が180度変わりました。むしろ「自分が普通である」ということ考えることこそが幸せの第一歩だということに気が付きました。

普通を知ることが最高の自己分析

なぜ、「自分が普通である」ということを受けいることが大切なのかというと、「普通」という言葉の定義を自分の中で見出すことが自己分析になるからです。

普通という言葉は極めてあいまいで、人によってその境界線は変わってきます。普通という言葉をあいまいなままにしている人は普通でない特別な人間なるためにどれくらいの時間をかければいいでしょうか?

答えは無限です。平均年収と言われる400万円クラス。大企業の平均と言われる600万円クラス。大企業の部長クラスである1000万クラス。どの年収隊であっても普通と感じる人はいるでしょう。自分にとっての普通とはどのあたりのことを言っているのかを知らないとそのあとの目標を見つけることができません。

ちなみに世界一年収が高いスイスの平均年収は日本の3倍以上ある約1400万程あるらしいです。為替レートの問題もあるので、一概に比較はできませんがスイスの人にとってはそれが普通の基準らしいです。

普通という言葉の境界線に線引きができていない人というのは自己分析ができていないということです。自分がどういった価値観を持っていて、どういったことに興味を持っているのか?それを知るためには自分が普通だと感じるものを知る必要があります。
それを踏まえたうえで、その普通よりも上に行きたいか、多少下でも問題なさそうか。その基準を自分の中で作っておくことが大切でしょう。

例えば大谷翔平選手にとっての普通はどんな感じだったかを想像してみましょう。すでに2024年にメジャーリーグで前人未踏の2刀流でホームラン王になったのですから、もちろん大谷翔平選手の普通は私たちとは違います。

彼にとっては「プロ野球選手になること」は普通どころか、会社に就職するぐらいの感覚でしょう。プロ野球選手になれるのはわずかに0.2%です。しかも彼はドラフト時に「メジャーに行くので日本には入団しない」と宣言していましたので、メジャーリーグに行くことも彼にとっては普通のことだったと思います。
さらにプロ野球でレギュラーで活躍し、タイトルの一つや二つを取ることも普通だったのでないかと思います。そうじゃないとメジャーで活躍なんてできませんからね

それだけ、私たちの感覚とは違う異質な存在だということです。そんな大谷選手の真似をしてもなれるわけがありませんし、なりたいとも思いません。僕は仕事終わりに唐揚げ食べながらビールを飲めたらそれで充分幸せです。最近はダイエットもしていますが・・・

普通という言葉に線引きをしてあげることで、自分にとっての幸せという境界線にも線引きがされます。自分が幸せになりたいのであれば、その基準を中心に自分がしたいことを組み立てればよいのです。

自分にとっての普通を知るということこそが自分を幸せに導くための第一歩でしょう。

がんばらない生き方をすると決めたきっかけ

自分自身振り返ってみると、人よりも頑張っていると自分で勘違いしていたと思います。「いま頑張ることが将来のためになる」そう信じて疑わず、友達とは遊ばず、休日には一人で家にこもって本を読んだりもしていました。

今思い返すとつまらない人生を送っていたなと感じます。結果的には30代後半になっても大したものは残っていないので、もっと方の力を抜いて気楽に生きてくればよかったなと思います。

自分の中で今までの人生は失われた30年と呼んでいます。それぐらい、思い出に残るようなことは何もない失敗だらけの人生でした。

そんな自分の座右の銘が「がんばらないで普通に生きる」になったのにはきっかけがあります。それは自分がとある小さい事業所で訪問介護のサービス提供責任者をしていた時のこと。まだ自分はその事業所には入りたてでわけのわからないままに社長の指示で「〇〇病院から紹介されたAさんがうちの賃貸に入るから行ってきて」と言われました。

いざ行ってみると、部屋がごちゃごちゃでかなり古い物件。もう、Aさんは独り暮らしをしていましたが介護を受ける程度には高齢だったので、整理もあまりされていませんでした。もちろん、新しい家に引っ越すためには今の家からでなければいけません。

そこでAさんが借りている部屋の大家さんとお話をしに行くことになりました。が大家さんは

「どうしてもうたんや急に!昔はそんなんじゃなかったやろ」

とお怒りだったわけです。

Aさんは訪問介護としては要支援レベルでまだまだ元気な人でした。認知症はありませんし、一人で近所スーパーにお買い物に行って生活するぐらいには可能だったでしょう。Aさんは生活保護を受けていたので、賃貸代を取りっぱぐれることもなかったので何十年も付き合いのある良客だったわけです。
大家さんからしてみたら病院から怪しい人がやってきてお客さんを取られそうになっているわけです。大家さんからしても面白くはありませんよね。それどころかAさんはこの人たちに騙されて、怪しい施設に入れられるんじゃないか?そんな愛情する感じるぐらいの人のよさそうな大家さんでした。

その日はとりあえず、引っ越すということだけをお伝えして引き上げました。引っ越すにしても手続きはすぐにはできないので、一旦仕切り直しです。とはいえケアマネさんはこちらのお抱えだったので、カードはこちらが握っていたわけですね。ケアマネから「一人だと不安ですよね。こちらに来れば安心ですよ」と言われればAさんは喜んでいきたいと言ってくれました。

Aさん、大家さん、僕と何度か交えて話をさせていただき最終的には大家さんにもご納得いただけました。そこで大家さんはAさんに最後にこういったのです

がんばらんでええで。普通でええんや、普通で


僕はその言葉を聞いて、大家さんの人の良さを感じました。普通であれば、何十年も付き合いのある友人を取られる人を良く知らない人に取られるわけですから怒っても仕方ありません。

ですが、大家さんはAさんの幸せを願ってそういった言葉をかけたのだと思います。それが僕の心には深く印象に残りました。

なぜ、その言葉が印象に残ったのかというと、人生においてそういった「普通でいい」なんていいというアドバイスをくれる人はいなかったからですね。

幸せになりたいなら年収は高くないといけない

仕事なんてツラいのが当たり前

もっとしんどい思いをしている人はたくさんいる

そういう言葉が多く、自己研鑽をしていなかったり休日にだらだらと過ごしていることは大罪のような感じがしていました。それが世間にとっての普通だと考えていたからです。

普通でいい」という言葉を聞いて自分自身の普通というものに対して考えるきっかけとなりました。

今ではこの「普通でいい」という言葉は「背伸びせずにありのままの自分でいなさい」という言葉だったんだなということが分かります。

SNSは他人の自慢話であふれている

ではなぜ人は背伸びをして自分よりも立派な人や立派な生活にあこがれてしまうのか?特に最近はSNSを見ているとその傾向が強くなっている気がします。

SNSという情報社会の中では他人の自慢話があまりにも容易にみられるようになったからではないかと感じます。

情報収集に役立つSNSですが、それと同時に承認欲求を満たすための場でもあります。「自分にはこれだけフォロワーがいる」とか「自分のポストがこれだけバズった」とかそういうのにあこがれる人も多いわけです。

SNSで認められるためには他人よりも目立ったことをしなければいけない。そう感じる人は多くなるのも不思議ではなりません。最近はSNSでよくみられるようになってインプレッションを稼ぐことができれば、お金が入ってくるようになったこともあり、そういったお金目当てで有名になりたいという人も多いかと思います。
お金はなんぼあっても困りませんからね。

SNSで目立つ人が増えた分、自分のポストが全く見向きもされない人は自分の無力さを感じることにもなってしまいます。自分の好きなことや面白かったことをポストしてもリツイートなんてされず「自分はつまらない人間だ」「自分なんて他の人にとってはどうでもいい存在なんだ」とそのように受け取ってしまう人も少なくはないと思います。

ただ、本当はフォロワーが多い人が偉いということはなく、生活に見合わないブランド物を買ったりレストランに行って注目を集めたい人、本当は知らないことなのに自分の意見はいかに正しいかを力説して炎上する人もたくさんいるわけです。

SNSで注目を集めている人の多くは大したことをしたわけではないのに見栄を張ることだけは立派な一夜城であるということを知っておきましょう。そして、その一夜城を築いた人の中にはその後本当に成果が出てしまい、他人にばれないようにSNSで本当の城を築いてしまった人もいます。
それはそれで立派だとは思いますが、あなた自身がそのやり方をする必要はありませんのでSNSとは気軽に付き合っていくのが良いと思います。

まとめ

今回は僕が「がんばらないで普通に生きる」ということを決めたきっかけと、どうしてSNSで人は特別と思われたいのかということについて書きました。

まだまだ書きたいことはありますが、今日はこの辺にしておきます。

もしかしたら続きがあるかもしれません。

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